Ambivalent Wanderer

脳科学(認知科学)、ロボット、現代美術。興味があること、考えたことについて細々と書いています。

時代と共に移り変わる子どもの指向性

こんにちは、Mikenerianです。


かなり間が空いてしまいました。
決して夏休みを満喫していたわけではなく、むしろ何もない夏休みで意気消沈し過ぎてしまいました。
そしてブログにできるネタすらない夏休み…

嘆くのはこのくらいにして、今回の記事のテーマはズバリ「子ども」です。
特にAIとか情報社会とかさとり世代とか絡めずに、ふと感じた今の子供達の指向性について考察します。
というのも、つい最近中学生に対し、自分のこれまでの歩みを語る機会がござりました。
そして、「自分が中学生の時にこういったことを聞けていれば」と思って語っていたのですが、これが意外と響かなかったのです。

具体的には、「中学生の君たちには明確な目標とか無いだろうから、まずは好きなことを目標にして頑張ってみな」
っていうそれはもうOYAJI臭い説教を垂れてしまい、
それでも心のどこかで「これはもう決まった」とか内心ガッツポーズを組んでいましたが、
話が終わった後ふらっと自分のところに来てくれた生徒に、こう言われちゃいました。







「僕、もう将来の職業決めてるんで」




いや、もう詰みました。

あれだけ色々考えて喋ったというのに、まったくもって無・意・味だったわけです。
確かに数人響いた生徒もいると私信じたい。いや、そうでないと心が折れちゃう。


などと嘆いてしまいましたが、やっぱり時が立つに連れて今の子どもたちが育つ環境は、自分が育ってきた環境とは徐々に違ってくるわけで。(だって中学生だったのn年前だし)
生まれながらPCがあるのは当たり前、今の幼稚園児に至ってはスマホがあるのが当たり前なのです。
そのような新しいデバイスが認知発達に及ぼす影響があるのも事実ですが、
それ以外にも、英語教育の充実・モンスターペアレントの登場・社会性のあるオタクの登場など、社会を取り巻く状況は日々変化しています。
というわけで、何となくじゃあどういった違いがあるのか?っていうことを主観的に分析してみました。

こちらの分析は、年代別にしていますが区切りは大変曖昧であり、様々な変化の普及度合いが地域によっても異なりますので、その辺りは寛大な心でご容赦ください。


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1980年代生まれ 全体主義の終焉

〜ちゃんとしろという大人と、それに反発する子ども〜
・ゲームなどは黎明期、外遊びが多い

・親は高度経済成長期〜

・暴力沙汰も多めに見られる

・思春期は盗んだバイクで走り出し、覚えたてのたばこをふかす

就職氷河期を生き抜く

子どものうちは遊び、学生時代にピーク、諦めるにつれ大人になる



1990年代生まれ 全体主義個人主義への移行

〜志を持てという大人と、それを疑問視する子ども〜
・The ゆとりと言われまくる

・親がバブル世代

・暴力ダメ、絶対。逆にスクールカーストが厳格に

・ポ◯モンはじめ、ゲームやら何やらコンテンツが充実し始める

・就職もわりと余裕

子どものときは夢(ゆとり)を持って生きたはずが、やることに追われて学生時代が終わり、大人になってからマイペースに



2000年代生まれ 個人主義の誕生

〜夢も希望もないと大人の様子から察し、将来を諦観、達観する子ども〜
・徐々にさとり世代。ゆとりがない。

・親はバブル崩壊後を生き抜く

・ケンカ?そんなめんどくさいことするなよ

・無料で手軽なゲームやらコンテンツが飽和状態

・就職は…?

子どものときから現実を知り、学生時代には明確な目標を持ち、大人になってからも淡々と生きる



まとめ

これひょっとすると、年代別というよりスクールカースト別かもしれませんね。

色んな人がいる、多様性溢れた高校だと全タイプいそうですが、「超進学校」みたいに固定された学校だと、特定のタイプが集まりそうかも。

果たして2000年代以降はどうなるのでしょう。
既に悟ってしまったわけですから、神になるしか無い!