Ambivalent Wanderer

脳科学(認知科学)、ロボット、現代美術。興味があること、考えたことについて細々と書いています。

ボランティアの意義について

こんにちは、Mikenerianです。


※今回の記事は主観的要素が強く入っています。最終判断はご自身で行ってください。


先週、渋谷で開催のSocial Innnovation Weekなるイベントに参加したので、そのレポートという体裁で書きます。
www.social-innovation.jp


残念ながらもう終わってしまったのでこれから参加することはできませんが、来年も同じような催しが開かれると思います。
個人的な印象ではすでに渋谷は文化発祥の中心地点という認識なのですが、過去を振り返ってみるとそうでもないらしく。
改めて文化発祥の中心として渋谷を位置づけるとともに、オリンピックに向けて結束を深める。
そのような目的があるのではないかと感じられるイベントでした。

そして表面的な議論しかしない(と上から目線で)見ていたのですが、意外とそんなことはなく、
かなり著名な方々の集まるイベントでした。
特にBit Valleyでは、DeNAミクシィサイバーエージェントの社長が対談されるなど、錚々たるメンバーが集まっていたといえます。
そのようなイベントの中で「ボランティア」に対する話題も取り扱っていたというのは、個人的にはかなり先進的取り組みだったのではないかと思います。
もっとも主催はかの「日本財団」でしたので、むしろそのようなイベントを今後も深めていくのではないでしょうか。


個人的には日本財団が元々「財団法人日本船舶振興会」だったことも衝撃ですが。。
日本財団 - Wikipedia


さて、今回はこのイベントの宣伝というわけではなく、本イベントでインスピレーションを受けた「ボランティアの意義」についてまとめたいと思います。
「なぜボランティアをするのか?」
「なぜボランティアは無料でしなければならないのか?」
「ボランティアの定義って何だ?」

そんな疑問を少しでも解消できる手助けになれば幸いです。
特に、「無料でしなければならない」というのは思い込みでしかありません。

そこで辞書的な引用もしつつ、
①ボランティアの背景
②参加者のモチベーションによる得られることの違い
③支援者・被支援者という関係性
④今後のボランティア活動の変容
という順番で紹介したいと思います。


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ボランティアの背景

まずは辞書を引きましょう。
dictionary.goo.ne.jp

ついでにwikiも。(かなり更新が頻繁なようなのでご注意を)
ボランティア - Wikipedia


ということで、どうやら無償で奉仕をすることがボランティアと定義づけられているようです。
しかしボランティア自体は必ずしも無償というわけではありません。
「有償ボランティア」という名前もあり、イベントの手伝いや介護のお手伝いがよく募集されます。
むしろ「自発的」であることが骨子だと思いますが、その定義は非常に曖昧で、どこからが仕事でどこからがボランティアなのか、文脈によって違ってくるといえます。


また学術的根拠はありませんが、ボランティアはいくつかの種類に分けられると思います。
そもそも「ボランティア」と聞いて思い浮かぶのはどのようなイメージでしょうか。
街でゴミ拾いをしている姿?
アフリカなどで奮闘する姿?
高齢者を介護する姿?

それらはどれらもボランティアですが、その社会的意義・役割は異なります。
それらを全て一括りにして議論すること自体がかなり乱暴だという意見もあり、実際そうだとも思います。
しかし全てに共通しているのは、表面的には人々が「自発的」に活動していることです。
そのような「自発的」参加を基本とするフィールドにおいて、何かしらの目的も存在している。
街をきれいにする
世界を平等にする
あらゆる世代の生活を豊かにする


理想を求めるのがボランティアかもしれません。余裕のある人が行うのがボランティアかもしれません。
それら全てが正しくもあり、間違ってもいます。

ここで定義した「自発的」という漠然とした定義自体がトラップで、ではその人が本当に「自発的」にやっているのは何割ほどの部分か。
どこかで義務感、やらされ感を感じる場面があるはずです。
だれもがやりたいことをできるわけではないのです。
組織として長期的に運営するには、やらなければならないタスクが数多存在します。

特に東京オリンピックのような超大規模イベントでは、自発性と義務感のバランスをいかにしてとるか。それが一番の課題ではないかと思います。



参加者のモチベーションによる得られることの違い

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全てはこの図に収束されます。

「好きなことだけする」というのは趣味としてのスタイルで、その対極としてやらなければいけないことが存在します。それぞれどちらか一方が強いと、「自己有用感」が高まりモチベーションが高まるということもあれば、「やらされ感」が強くモチベーションが下がるという場合もあります。
これは自分のやる仕事によっても異なりますし、おそらく1日の活動中でも変化することです。
例えばゴミ拾いに関していえば、最初はモチベーションが高くても、夕方には飽きてきて義務感でいっぱいになるはずです。

このような「趣味ー義務」の軸の一方で、責任感という軸も存在します。責任感が低い人はやらされ感などを感じやすい一方、高い人は自己有用感などを感じやすいはずです。

ここで、責任感を上げる最大の方法は金銭などの「報酬」を与えることです。
だから、「好きなことだけできる」のであれば報酬はいりません。
しかし、そうではないことがいっぱいあるから仕事が存在します。であれば、適切な報酬基準というものを常に見積もることがマネージャーには求められると思います。


支援者・被支援者という関係性

ところで、対人のボランティアでは支援者・被支援者という立場があります。
ここではサービスを受ける人を被支援者というふうに表現しています。

ここで支援者は自己有用感などをモチベーションにしている一方、クレームなどを受ければモチベーションが下がってしまいます。

一方被支援者についても、サービスを受けることで利益を享受するばかりでなく、サービスを受けることに対する後ろめたさも感じるものです。
例えば優先席で席を譲ったとき、断られる場合というのはこのような「後ろめたさ」が一因です。

このような関係を考慮しなければならないのは、ひとえにボランティアが多くの場合無償であるためです。
支援者・被支援者どちらもただ満足して終わっていては、自己満足で終わることが多分にあります。
このバランスをいかにして平衡に保つか。日々ボランティアの従事者は考えなくてはなりません。

一つの解決策は、双方が対等な立場となり、共に一つのボランティア団体を築き上げていくことです。
また、団体以外の、第三者というステークホルダーを介入するという方法もあります。
どのような解決策にしろ、被支援者を無視することはありえません。



今後のボランティア活動の変容

ボランティアは今後需要を増していくことが確実です。
直近では東京オリンピックがあり、少子高齢化が進む社会ではタダの資本が求められています。

そのような中でいかに「自発性」を担保しつつ、持続可能なボランティア運営を続けていくか。
すでにNPO団体はこの問題に直面しています。

ここで解決策は思いつくはずもありませんが、指針について考えられることがあります。
それは今後の社会は個人主義が進んでいることです。

mikenerian.hatenablog.com


拙稿でも述べたとおり、社会はどんどん個人主義が進んでいます。
そのような中では権力集中型は徐々に崩壊し、ブロックチェーンに代表されるような分散管理が基本になってきます。
それはボランティア団体など、何かしらのコミュニティが作りやすい環境になるということでもあり、そのようなコミュニティが崩壊しやすくもなってくるということです。
さらにコミュニティの中心がなくなりつつあるわけですが、そのような組織体制でうまくやっていくために必要なことは何か。その解決策と同じことがボランティア運営にも当てはまると思います。

一言で言うとそれは、
チームとして明確なゴールを持ちつつ、個々がタスク全体をマネジメントできる環境であり、
全員のコミュニケーションが対等にできる環境であり、
結びつきの強度が適切な値に保たれていることです。

この辺はチームマネジメントにも関連してくるので、詳細はまた今度。