「優しさ」とは?―3つの問題からの考察
こんにちは、Mikenerianです。
最近ふと気づいて腑に落ちたことがあるので、メモとして共有します。
「優しさ」とは何か。
ついにオカルト的宣伝まで漕ぎつけたか。という声が聞こえてきそうですが…
今まで同様、あくまで論理的に、冷静にこの言葉について考えてみたいと思います。
なので、検索してトップに出てくるような宣伝が無い代わりに、それこそ優しい言葉もありません(笑)
あまりにも身近な言葉のくせに、やたらと意味が広く、人生に直結しすぎているのでそれこそ「立ち現れてくる」ものが人によって違いすぎるのではないかと思います。
ですがあえて、最近気づいたことを中心に、3つの問題からこの言葉について考えます。
- 「優しい嘘」の存在
- 「厳しい優しさ」の存在
- 期待している?期待していない?
「優しい嘘」の存在
嘘には2種類ある。傷つける嘘と優しい嘘だ―
という名言があるように、嘘はすべてが悪いわけではありません。
「嘘つきは泥棒の始まり」
という言葉があるせいでしょうか。子どもに対して「嘘はいけない」と大人は教えます。
もちろん他人を傷つける嘘はいけませんが、あまりに正直すぎるのはかえって害でしかないです。
例えば閉店間際に来店して大量注文すると、店員からしたら迷惑極まりないですけどそうは言いませんよね。
心ではどう思っていようと、絶対、「ありがとうございました」と言ってくれるはずです。
ここで言いたいのは、「嘘」は相手を傷つけるためだけに存在しているのではないということです。
そしてその背後にあるのは「優しさ」ではないでしょうか。
あえて嘘をついてでも相手をなだめ、安心させ、納得させる。それが優しさである場合があります。
「厳しい優しさ」の存在
ランニング、ランニング、ランニング…死ぬまでランニングだ!
修行時代、下積み時代。
ドラマでは、鬼のように厳しい先生や教官が生徒をしごきます。
でも時には励まし称えることで、彼らは絆を深めます。
その背後にあるのは、圧倒的な「信頼関係」です。
信頼しているからこそ、厳しさは優しさにもなるのです。
もっともそのような厳しさを持つ資格があるのは、己自身も厳しい道をくぐり抜け、常に自分自身を変える努力をし、生徒を思い続けるような人間だけだと個人的には思います。
そうでなければ歪な関係や、不信感を生むことに繋がります。
期待している?期待していない?
「好き」の反対は無関心である―
個人的にこの言葉は好きです。
ただ、この対立構造は以下の図の赤矢印です。
横にも矢印が引けるように、
好きの反対は嫌いでもあります。
最近気づいたことというのは、「優しさ」というのは相手に対して興味や関心、敬意や思いやりを持っているからこそ抱ける感情であるということです。(図の右上)
そうでなければ、表面上優しく見えるだけであって、ただ単に無関心か、ばれたら取り返しのつかない優しい嘘です。
そんなものは本当の優しさではない。
「嘘」というのは、ある意味中性なのかもしれません。内容によって善悪が分かれるという意味で。
反対に興味や関心がなければ、優しさはありません。(図の下部分)
さらにいえば、相手に対して期待や願望や望みがあれば、それは興味や関心を持っているということです。
だから優しさもあるというのは短絡的でしょうか。。
反対に、期待していないというのは、ある意味興味がない状態かもしれません。
よって、期待が失望に変わったとき、優しさは無くなるのではないでしょうか。
今まで言及してこなかった、図の左上はどうでしょう。
嫌いな人間に対し、人はどこまで優しくなれるのでしょうか…
番外「いい人」=「どうでもいい人」
優しさは深いね、ということで締めてもよかったのですが最後にもう1つ。
よく優しい人を表す言葉で、「いい人」ってのがあります。
文脈はどうであれ長所をほめてくれるというのは悪い気分しないですよね。
だけどたいていそれって興味がなくてもできるんです。(図の下部分)
ということで、「いい人」=「どうでもいい人」ってよく思われるのは、仕方がないんじゃないかなあということにようやく思い至ったという話で終わりにします。
ではまた。