Ambivalent Wanderer

脳科学(認知科学)、ロボット、現代美術。興味があること、考えたことについて細々と書いています。

「本物」という概念について

本物。




本物とは、偽物でないこと。

偽札、偽ブランド、偽物語


色々な物が、偽物か本物かで評価され、レッテルを張られ、時に貶められる。

だが、本物とは、そもそも何なのだろうか。


(今回は自分の意見を書いているだけなので、特に学術的根拠はない)

「もの」における本物と偽物

やはり本物について語るとき、本物自体を攻めるのではなく、その対極に位置する偽物について考察するのが得策だろう。


偽物は、冒頭で書いたように、本物を真似て作ったもののこと。


やはり分かりやすいのは偽札の例だろう。

偽札で買い物をすることはできないし、もし仮にそんなことをしたら罰を受ける。

しかし、店員をだまし、そのまま誰にもばれなければ、偽物が本物として通用することが一時的にはあり得るかもしれない。(特定の文脈における本物の刷り込み)


ということは、偽物か本物か。その区別は、個人あるいは集団の信念に基づくものということができる。

例えば、プラシーボ効果(偽薬効果)と呼ばれる現象がある。

これは、例え嘘であっても信じた結果、本当になるというものである。

よく知られていることとして、患者に対して砂糖を固めて作った薬を、「これを飲めば病気が治る」と偽って飲ませると、本当に病気が治るといった例がある。


つまりお金や薬など「もの」については、個人の信念が問題であり、信念次第で本物、偽物という軸はどんなふうにでも変えられる。


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「もの」の場合の本物―偽物関係


「こと」における本物と偽物


では、個人の心など、「もの」ではなく「こと」に関してはどうか。


これも偽物から入ろう。




例えば、嘘をつき続けて、相手を騙し、貶めようとする。

これは相手に対して偽りの姿、つまり素の自分とは異なる自分を見せているから、偽物である。

その結果得られるものは、相手に対する勝ちの感情かもしれないし、お金かもしれない。

そして騙された本人は、そのことに気づいていないかもしれず、無自覚のうちに順応しきっているのかもしれない。


これはネガティブな結果だが、逆にポジティブな結果を与えることも考えられる。

相手に対し「お前はかわいい」と言い続けることで、本当にかわいくなったりする。(いや本当に)


このように「こと」は変化するから、きっと偽物であっても「本物」と錯覚し、実際そのように変化することができる。

ただし周りは偽物と分かっており、社会から閉ざされた本物という信念が息づくことも考えられる。

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「こと」の場合の本物―偽物関係



進化する「こと」の信念


さらに踏み込んで、、そもそも相手を騙し、貶めようとするうちに、自分自身が変化してしまったらどうなるのだろう。

その場合、両者がが偽物と思っていたものが、本物となってしまうわけである。


このように、本物を覆うようにして、偽物が立場をすり替える。

これがおそらく、偽物が時に優れたるところであろう。


繰り返すが、決して偽物はネガティブな変化をもたらすだけではない。

時には正のサイクルで変化を起こすかもしれないし、場合によっては周りの人々を含め変えていくことが、できるのかもしれない。

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偽物が本物として共有されていく



まとめ

まとめると、

①「もの」における本物か偽物かの区別は、人間の信念(思い込み)が決める。
 (偽物を本物と思うことがある)

②「こと」における本物か偽物かの区別では、偽物に対し本物の信念(錯覚)を起こすことがある。
 (偽物を本物にすることができる)

③さらに、偽物をばらまいた対象の信念すら変化することで、偽物は本物になる。
 (偽物が本物という信念を大勢が共有する)


何にせよ、個人の価値観を決めるのは、それまでに自分が信じてきた信念のカタマリだ!